自信が無い
これがほとんどの選手に起こることではないだろうか。
大人も新たなことややってきたことがまだまだ素人だったり、そもそも得意でなかったりすることに関しては自信なんて持てないと思っている。
では、その自信とは何ぞや?
メンタルなのか?
失敗を恐れない、チャレンジ精神、自己肯定感?
話しをそらすが、人は自己を他社との関係性で形作られると思っている。
自チームにいるときの自分と、日本代表にいるときの自分は違うと思っている。
これを小学生や育成の時期に置き換えると、その周りとの立ち位置を自分で決めて違いが出ていると思っている。
活躍できると思っている選手は自信をもってチャレンジする。
そのチャレンジは自分で取り返せえるから。自分がチャンスを作れると思っているから。
しかし、周りをリスペクトすることが多いと自分が活躍するイメージが薄れるし、自分が活躍するより他の仲間が活躍すればいいじゃんと。
控えめになる。控えめは消極的で自信ないように見られてしまう。
我々が取り組んでいるのは一人一人に自信をどう持たせられるかである。
慌てるな!自信をもて!チャレンジしろ!大丈夫!
色々と声掛けているチームもあるかと思う。
大人もだと思うが、自分が大丈夫と思う時はそれだけやってきたと言う自負ではないだろうか。
チャレンジするのも大事なのだが、その前にここまで自分が努力した、だから出来る。その出来るを発揮するチャレンジをする場をこちらがカテゴリを超えて用意するのがさいたま市西区にあるジュニアサッカーチームの烏天狗JrFCである。
親のエゴや、子どもの世の中の評価軸を気にする中途半端なプライドは意味をなさない。
まず自分自身で出来たと言える状況が大事である。
こちら指導者の褒める言葉は少しの答え合わせに過ぎない。自分自身で正解を模索している選手は答えが無いことも知りつつ日々、自分の中での正解を探し続けている。
だから、普段から自分で決断し失敗や成功を振り返り、本当にベストだったのか?と問いを立て続けることで追及している。
こちらの褒めや周りの褒めは本質的な成功からは程遠く再現性が低いと思っている。
保護者だけでなく、周りの指導者にも言いたいのは本当に自分自身の物になったのかどうかを見極める観察力を持ちたい。任された、信頼させれたと自分自身で行動をとり、より良い答えに辿り着こうとし続けるマインドが形成されるのではないだろうか。
保護者はマジで我慢だとつくづく思っている。見守ろう(^^;
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