子どもは親の背中を見て育つ

先日市内のプールのトイレで感じたこと

トイレの入り口で並んでいると大人の方が出てきてそのままスリッパを出ていく方向を向いたまま出ていった。

自分の前にいた子どもは後ろ向きになりそのスリッパを履いた。

次に出てきた子どもが同じようにそのままスリッパ脱いで出ていき自分は後ろ向きに履いた。

烏天狗の選手も合宿中に伝えたが出来る子と出来ない子がいる。子どもだから時間かかるかなと思ったがさきほどの大人の方が親であったらその子はまず何も思わないだろう。

その子どもは何も感じない。悪いことしていないし、次の人が履きづらいと言うだけ。その履きづらいにも気付かない。おそらく反対向きになっているスリッパを履くときにすら何も感じないのかもしれない。スリッパが綺麗に並んでいるときと乱れているときの違いや自分の感じ方など何も思っていないのかもしれない。

それはその子の生き方だから否定するわけでは無いが、皆んな同じ日本、なんなら同じ地球に共存していることは変えられない。

人は1人では生きていけない

そんなこと分かってるよ〜

その本当の意味を簡単なことから育めないだろうか

どの場面も、どの場所も自分の部屋のように思えたら行動が変わるのではないだろうか

虫の居所が悪く何か意地悪したい時もあるかもしれない。

そんな行動も理解し合い、でも共存の意識を忘れず育つ形が理想である。

相手がいないとサッカーの試合が出来ない。敵でもない。

だから、どこに勝った負けたも一瞬の勝負では大事だが、本質は互いの成長である。

そんな互いに「人間として」を高め合える同志でありたい。

そんなチーム、組織を目指したい。私もまだまだまだであるし、完璧になるとは思っていない。皆んなでやっていこう(^^)

PS:自分の前に入った男の子は出る時に後ろ向きで脱いで出ていった。ついつい「お前、いいね!」と声をかけてしまった。出来る子は出来るのだと思いがっかりしていた心が嬉しくハッピーな気持ちになれた。ありがとう