我が子が学校から帰ってきた矢先に携帯を見ている。
SNSを見ないといけないわけではないだろうが見ている。
町を見渡せばカップルがテーブルを挟んで自分の携帯を見ている。電車でも車でも友達や家族と居ようが見ている。もちろん話すときもある。
1人の時間が出来た時に見なきゃいけないわけでもないのにSNSを開き、誰かの投稿を見る。必要な情報と言うよりは勝手に流れてくる映像を見ている。今見なきゃいけないわけではないのに。
ボーとSNSを見続けることは簡単である。勝手に流れてきて、違うと思ったらスクロールして次を簡単に見られる。
この携帯電話があり、SNSが活発になっている世の中は変えられない。むしろもっと色々な事や物が増えてくると思っといてよい。
我が子に対して携帯見てないで違うことで遊びな!とか
本を読め!など言ったところで子どもはやらない。
簡単に操作でき、頭も使わなくても勝手に与えてくれる視覚、聴覚への刺激に心地良さを感じているようにも思える。
この時代、状況を我々大人も受け入れた上でどうしたら良いのか?
考えながら答えが出ている訳ではないが皆んなもどうしている?と聞いてみたい。
子どもは自分から色々な体験をしに動くことは難しい。
ましてや危ないと言うワードが動きを制限させる。
家から出るのが危ないから家でお留守番しなさい。それなら暇だから携帯見る…。家から出ないならある程度の安全は担保される。
大人も子供も実体験を買うだけでなく気軽に行える環境を作り。
携帯に劣らない脳への刺激を与えられたら何か変わるかもしれないと自分は仮説を立てている。
サッカーは小さい現代社会を作っていると思っている。
人間関係を一番に色々な体験をもたらしてくれる。
上手くいかないことが前提のスポーツ、社会を楽しめるような人間になったらどうだろうか?
サッカーだけでなく携帯なみに刺激与えられることはいっぱいあるとも思う。
皆さんは自分や子どもにどうアプローチしてますか?
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