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何を言うかもあるが誰が言うかも大事

暑さ対策で長袖を着用しているのですが顔だけが守れず日焼け止めは使いたくないポリシーなので対策に苦戦しているさいたま市西区指扇でジュニアサッカーチーム烏天狗として活動している代表の岩田耕併です。

参院選挙がをニュースメディアが色々な投手のインタビューを行っている。
そのインタビュアーによって投手への意見が色々とあるのだが言葉尻を取るような言い方をするインタビュアーは個人的に好きではないと思ってしまう。

それは、何か物事に対して発するときは全てを網羅するような言い方は難しい。
赤色とは?と赤色を定義するところから始めないと必ず同じ赤色と言う言葉でも人ぞれぞれで赤色の認識が、赤色と認める範囲が違うので言い方によってこの赤色にとっては認められていないように感じることがある。

自分が言いたいのはその人が言う赤色に自分の認識の赤色が入っていなそうでも、その人の言う真意、その人の目、エネルギーなど感じたら自分の赤色も認めてくれそうかな?とか、見えてないなら対話したら見てくれそうかな?とか、自分で感じれるはずと思っている。

それをメディアや外からの切り取った情報だけでその人の発言には角が立つとか強すぎるとか言う方たちがいる。

結局のところ、その人のことを自分個人がどのような人かと判断ができなくなる。
周りが、メディアが言うからそうなのかと。
自分の目で確認したはずなのに決められない。
特に大衆がそうであると自分だけ違ったときに不安になる。

毎度毎度このメガネが言うことは同じであるが、自分で決められない人がサッカーをやる楽しさはあるのか?
自分で決められない人生に幸せはあるのか?

子どもが我が道を進むようになってもらいたいと願うなら(願わないなら構わないが・・・)保護者が大人が一意見を発するのは構わないがそれが絶対だと言うことは違うと思う。

自分の意見も一意見であり、選ぶのは自分だと。
その含みを持たしながら何か意見を言いたいときは対話して答えのないことに互いに向き合えるようにすると自分の意見を持つと思うし、決めてみて、また吟味して考え直して変更するかもしれない。

大人も全体に正しいと言う答えがない世の中にこれからの子ども達を希望に満ちて生きてほしい。
一情報、一切り取り言語を聞いて決めるのは良くないと思っている。

どんな人間も背景があり、過去がある。
その人のストーリーからも見れるように認め合うことから始められたら日本もより良い社会になるのではないかなと思い一票を入れた次第です。

自分は多数決はどうも決め方として嫌いだなぁ~(^^;

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