どーも、週に一度電車で通う現場があるのですが電車の冷房が寒すぎて長袖長ズボンを履いているさいたま市西区指扇でジュニアサッカーチーム烏天狗として活動している代表の岩田耕併です。
小学生だけでなく中学生から高校生もなのかな?大人にはよく分からないフレーズの言葉がよく出回る。流行なのだろう。
子どもの情報源はスマホなのかな?
または友達伝手
これは悪いと言ってるのではなく関心ごとには積極的に参加して情報を集める。
ではサッカーはどうなのか?
サッカーは相手がいてそれをどうにかこうにか倒すスポーツである。
相手が何をしてくるか分からない。
自分が得点を取りたいのをどう守ってくるかは分からない。
それを自分のアイデアでやっつけるから楽しく答えがないから楽しくて辞められないのだ。
でも最近の選手たちはどうだろうか。
サッカーは好きと言うものの、自分がやりたいプレイ、事がないように思う。
それはなんだ?
ほっといたら自分がやりたいことをやり続けるのに、ことサッカーとなって相手が防いできたら自分がやりたいことを諦めるのか何もしない。
自分がやりたいことだけでは勝てないとなったらやりたいこと出すために他に考えなくてはならない。
その考えること。ほかのアイデアが出る子が本当に少ない。
そもそも自分で考えて攻略することに楽しみを覚えていないようにも感じる。
これは常に与えられてきた弊害なのか?
そんな問いが出てきそうなくらい色々なチームを指導していて感じる。
我々指導者が教えることはアイデアの一つとは思うが、これを選手自身が欲していないのに与えすぎてはいないだろうか?
そもそものサッカーをやる理由は?
何がサッカーの楽しいところ?
そんなことを問いたくなる選手が多い。
大前提がない選手にこちらが色々な方法を持たせても全く生きていない。
それは自分自身で困っていないから。
自分で解決したいと強く願ってないから。
そんな選手に色々足しても勉強と一緒で暗記が得意な子は覚えて使ってそれなりになるが
暗記が不得意な子は苦しくなり、暗記得意な子も生きた知識でないと応用が利かない。
なんでこうなるのだろう?
相手ボールにしたくないから何とかビルドアップしたいとなるのではないだろうか?
こちらがビルドアップすると決めないとならないのか?
サッカーが好きでサッカーを見ていたらゴールキックにCBがボールに背を向けて前に行くときはそんなないのである。
それは何であろうかと疑問に持つだろうし、むしろ自分もそれ覚えたい、マネしたいとならないのか?
大人が決めたルールや決め事をやることが真面目と言われ、評価され良いことして扱われ満足する世の中なのか?
保護者も自分の子がそなっているかも?と思わないのか?
その良い子で満足なら良いが果たして幸せはその先にあるのか?
自分のアイデアを尊重されるような家庭環境があるだろうか?
バカみたいなアイデアや発言にイヒ(古い旭化成のCM)となってもらいたいのでは?
学校教育もしかり子どもの行動を尊重し見守りひねくれた子にしたいと思っている。
くそ野郎はそれはそれで大変だしイライラするのもごもっとも(笑)
皆さん頑張ろう(^^;
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