日中にセミが鳴くな~と思っている。
どうやら今年は8月頭は暑すぎてセミがいなかったらしい。
へ~確かに暑すぎると生きられないのかと新たな事例を知った私です。
どーも、さいたま市西区指扇でジュニアサッカーチーム烏天狗として活動している代表の岩田耕併です。
日々、どんなことにも問いを持つことを促している変なおじさんの私が子供に今日も変なことを聞いた。
土の汚れに対して汚いとなり、汚れをどう捉えるかを聞いた。
手を土や泥で汚れたらどうする?
「石鹸で洗う」と。なぜ?「お母さんが言ったから」(笑)大半の回答
石鹸で洗わないと汚い?
水だけだと汚い?・・・常識だかららしい
さて、畑でなる野菜は何の中にある?
土の中から取れた野菜は石鹸で洗う?
石鹼で洗った野菜を生で食べる?
石鹸は飲むと良くないと書いてある・・・さて汚いとは何だろう?
菌をどう考えるかとか色々と理由は出来るとは思いますが、ようはまず考えてみようと言うことです。
常識とか当たり前とかを一度本当に?なんで?となれる状態がとても大事だと思っている。
今の子供の良い子の在り方が余計な事しない、言われたことをやるが大半で本当に世の中変わってきてると実感している。
ゴミを捨てる子どもは本当に減った。
これはとても良いことと思っている。
しかし、天邪鬼や屁理屈の子供が潜在的には各々持っていて発揮したいが見せないでいる。
サッカーやスポーツ、ゲームはこの相手の心理を利用した駆け引きが必要な行為である。
その活動に常識や良いことを遂行することが必ずしも良いのかは分からない。
また、なにより自分本位でなく世の中が用意した良いことを行いゲームに勝って本人が楽しいのかどうか。
楽しいの概念が違ってきているのかもしれないが、
私は自分が選択することが人生においても楽しいの定義としている。
自分が選択できないで選ばされていく人生は自分でなくて良いし、ただ呼吸しているだけなのではないだろうか。
子ども達には今与えられている常識を暗記として覚えていくのではなく、
なぜそうなのか?を理解して覚えて知識にしていくことが大事だと思っている。
保護者や学校にもお願いではないが、一緒に取り組もう!と軽い気持ちで誘いたい。
問いを投げるより指示したほうがことが運ぶから早いのはわかる。
しかし、子どもにとっての幸せを考えることは大事なのではないだろうか。
答えではなく、一緒に何でだろう?と考えたい。
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