サッカーにおいての認知は理解、判断、論理などの知的機能のこと。認める行為の意味ではなく、外界を認識する意味。
毎度毎度自分は交通道路で例えてしまうのだが、免許を取るのに「かも知れない運転に心掛けよう」と習う。
そう、それだ!
この路地から人が飛び出してくるかも!
または子ども目線なら車がくるかも!
この状況を理解し判断する訓練がとても大事になる。最初は説明を受け知ることから始まるが、あとは自分でこういう時はどうなのか?そのトライ・アンド・エラーを繰り返して自分の状況判断力が上がる。
もっと簡単な方法としては、街なかで人間観察も良いと思っている。
あの家族はこれからどこに行くのか?
あの集団は何か?
など答えが無いがその見た状況から情報を集めて分析して判断する。こんなことを親子の会話にしたら子どもの創造性なども楽しめる。こちらが見れていない所に注目していたりもする。親子で認知の振り返りも出来て最高だ。
この認知の訓練に起こってしまうのが、親や先生などが子どもより強くあってしまうと何も訓練にならない。
答えがあるのだから教えてとなってしまう。
前回のブログと同じことを書いてしまうが心理的安全性はとても重要である。
親はとても難しい立場にある。
世間に迷惑をかけられない。子どもに躾をしないとならない。怒って怒って言うこと聞かないから大変である。
自分も3人の子を育てている最中だが幼稚園から小学校、中学校まで管理管理の組織である。これによって助かる部分ももちろんあるし大いに理解できる。先日高校生を指導させてもらう機会があったが、自分の当時であれば「誰?」って言うコーチが来て指導されても…「はぁ?」ってなるが、いなかった。そんなクソ野郎はいない笑。
高度経済成長を経て日本はとても変化して街にゴミは減ったし万引き、窃チャする子どもがいない。しかし、臨機応変に考えられる子、いや考えられる子はいるか。むしろ臨機応変に動いて良いと決断し動ける子はいるのだろうか?
この行動が取りづらい世の中になっている。
世間の目
心理的安全性は世間の目がある意味支配していて子ども達はトライが難しくなっていると思う。
余計なことしない。動かない。を選ぶ方が問題にはならない。
いつも最後はこの内容になってしまう…。
今回の言いたいことは認知は遊びで育まれるよ〜でした…笑
さいたま市西区にあるジュニアサッカーチームは子どもを尊重したクラブです。
迷惑かけまくりです。
だって人間だもん。
それが、人間を育む組織です。
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