こんにちは。日曜日の夜にブログ更新と追い込んでいるのですが寝落ちして全く期日を守れない
さいたま市西区指扇地区でジュニアサッカーチーム烏天狗として活動している代表の岩田耕併です。
Jクラブや強豪街クラブのスタッフと話ししていて皆そう思っていることがありました。
チームの結果に一喜一憂している選手は保護者がそのマインドコントロールをしている。
誰が下手くそ、誰々のせいで、誰々のコーチ担当だと駄目、と全て原因を外に持っているマインドの家庭がJクラブでもあるらしく、その子どもは大成しない傾向がある。
選手自身も外に原因をもとめていて自分がより良くするためにとはならない。
確かに仲間に求めることはあるがその仲間の中で自分の最大はなんだろうか?もっとこうなっていれば良かったか?など自分と向き合うと成長しかない。しかし、試合に出れなかったり負けたりすると自分のせいにしてしまうと自分の評価が下がる。自分が悪いとなる。
それだったら他者の外のせいにしていれば自分の評価は担保される。そこで争っている選手はそこ止まり。
いや、自分のせいだってなったって良いじゃないか。今の結果も大事だが先々にまたあ勝てるようにするためにチャレンジは不可欠。
そのチャレンジをさせてくれる場は普段の練習にある。練習でチャレンジして出来ること増えてれば試合に出れるチャンスをもらえる。普段の練習で俺はミスしてないとか、あいつより出来てるとか言っている選手は試合に出しても目的が出ることやミスしないで評価を下げないことになっている。
自分がどうなりたいのか?を常に考えている選手はチーム結果、仲間のミスに対して一喜一憂していなくて、すぐに変化する状況で判断してサッカーを遂行している。
自分がなりたい絵を追いかけているから仲間のミスやチームの結果より自分のなりたい絵を描きもとめてをとる。
それは自分勝手に自己満足のプレイをやるのとは違う。
前回も書いたがサッカーと言うルール、制限がある中で自由に行い絵を描く。
チームメイトや他のチームの選手とのマウントの取り合いはマジで保護者のエゴ。
その発言や態度、それこそ発していなくても空気は必ず我が子に伝染する。
子は親の背中を良く見ている。
期待しすぎない。これは諦めるとは違う。
何年生なんだからとか、トレセンに入っているのにとか、はその時に出来る出来ないがあるだけで今後もそのままかは自分次第である。
比べて自分を知ることは良いのだが、比べて満足したり、へこんだりしていても現況のまま。
比べて自分を知ってどうするの?
これをどう持たせられるかが大人の役目のような気がしている。
情報が飛び交う時代だからこそ、走りが意味ない、リフティングが意味ないなどは一つの見方である。チームの狙いを信じられないのなら自分で育てればいい。
チームは個人の為にはない。しかし個人はチームの為に必要なのである。
学校に対しても保護者が先生の当たりはずれを発している声が聞こえる。
一部にはどうなのと思う先生がいるのかもしれないが子どもの前で先生を揶揄すると子ども自身も先生を信じないし舐めてしまう。
誰にどうなってもらいたいのでしたっけ?
これが一番に考えるのでしたらどんな環境でも自分の足で歩いて、自分の手でつかみ取っていける人間になってもらいたいのではないだろうか。
それは時間がかかることでもあるし、もしかしたら中々ならないかもしれない。
なかなかならいとしても、本人自身が他の人より出来ることが少なくても比べられ続けていない環境で育っているなら現況を幸せと言える人になるのではないだろうか。
貧乏でも幸せと言えることが親にとって嬉しいことではないだろうか。
生産性、コスパ、タイパなどは個人の各々に持って良いはずの幸せの価値観を壊しているように思う。
親や我々大人がどうあるかで子どももあり方が決まっていくと思っている。
コメントを残す