世の中が色々と変革してきていますね。SNSにより情報が飛び交うなかで、その情報をどう使うのか、どのように判断するのかが自己の責任になってきている思っています。
「自分で判断すること」が強く問われる時代となっているように思います。
さて、解釈の話しをしたいと思います。
私(いちチームの代表)が「何が何でも勝ちます。」
と発言したらどのように解釈しますか?
あのチームは勝利至上主義だ!
ととりますか?
そうとる人もいると思います。
その発言をした人の振る舞いは?
その発言をした人の普段の発言は?
その発言をした人と選手の関係性は?
色々と見るものによって解釈は変わります。
内部でも選手起用によって試合に出られる、出られないがあるので選手によっては勝利至上主義に思うかもしれない。
解釈は自分次第で捉え方が変わります。
その解釈をいち意見として言うことは構いませんがそのいち意見に右往左往している人に疑問を投じます。
どんな意見や情報も取り方、使い方は自分次第。
受け取るその人の状況や状態で感じ方は大きく変わると思っています。
さらに邪魔をするのは立場とか言う勝手な上下関係です。
私が日本サッカー協会の会長で先ほどの発言をしたとする。
それを聞いた各年代のチーム代表がそうだそうだ!と「いいね」を押して賛同する。
で、だから?
とそこに所属している選手、保護者が言えるかどうかかなと。
立場は当事者の見方が決めます。
赤ちゃんは誰が上とか下とかわかりません。
感じたままに反応します。
肩書を知らない人はその人をいち人として見るでしょう。
本来はそのいち人間として見ないといけないのではないでしょうか。
幼少期に大人の触れ方で子どもは価値観を形成されます。
我々大人がどう在るのかが大事なのかと思います。
いち発言に賛同したチームに所属していて、その賛同した代表と付き合ってきてどうだったのか。
上の立場から言われたらそうなのか?
動かしてるのは自分である。
その動かしている自分の想いや在り方は?
そこを子どもの時から一緒に考え行動をとるとトップダウンのチームにいても自分の在り方は変わらない。
移籍できなくても次のカテゴリーに進んだ時に必ず経験として生きてくる。
サッカーを辞めた時、社会に出た時、大人になってからも必要になってくる。
そんな強い人になってもらいたいのではないだろうか?
だから、誰かが言ったことに対して話題になるのは良いが右往左往するのは少し違うと思っている。
自分で決めていくこと
それは失敗がつきもの
つまり、常にチャレンジなんだと思っています。
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