どうなるかは分からないが前提

学校が用意する成績や評価に振り回されないことが大事かなと思う。

評価をしている方々のほとんどが正解なのかどうなのか。

スマートフォン、Ai、ロボット、チャットGPT、など目まぐるしいくらいに進化しているこの時代に先生や親、指導者の評価がすべて正しいわけがない。

誰もが予想できない未来に対して子どもたちに何を持たせるのが良いのかを常に問いたい。

サッカーを通じて自分は子どもたちに接しているが、そうでなければならないと言うことは絶対に言わない。

常にどうなのか?を自分で問えるように余白は残している。

しかし、受け手の方がこちらが言ったことを素直に遂行することが評価と言うマインドの子どもがまだまだ多い。

こちらが伝えることは一つの手段やアイテムであって、それをどう使うのかは自分が選択することにすべてが詰まっている。

その選んだことを自分でどう振り返っているのかが次に繋がる。

振り返りの深さも重要で結果が良くても疑問を持つ人間は探求し続けている証拠である。

振り返りとして選んだアイテムはどうだったのか、使う時はどうだったのか、など選ぶにも時間軸や種類がある。

一概に何を選んだら良いのかは正解がないから追及し甲斐があるスポーツと思っている。

人生と同じで上手くいっているのかどうかは自分が決めることである。

人が人生上手くいってるねと言われないと自分がどうなのか分からないわけがない。

自分が幸せを感じることが正解なのではないだろうか。

だから、幼少期から選んだ結果で良い悪いも自分が納得していけるような人間にどうしたらなるのかを常に考える。

チームの結果や、指導者、親のエゴはマジで子どもの為にならない。

子どもが自分で決断し、結果を受け止め、仲間と大人とも対話してより良い自分、チーム、組織、世界にしていきたいと思う人間になってもらいたい。

自分は何に幸せを感じるのかを考え続けてほしい。

その為には我々が偉そうにするのではなく、自分においても全く分からないと言う前提のもとに話しをしてくことが筋のような気がしている。

とは言っても私自身が自分に素直に今を語れるようになっているかどうか・・・(^^;

日々精進

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