将来の為

将来の為に今勉強しなさい。

将来幸せの為に偏差値の高い学校に行きなさい。

確かに偏差値が高い高校、大学と卒業するとそれなりの会社に入れるかもしれない。

その会社なら平均所得を上回るかもしれない。

お金を得るためだけに今の時間を勉強に費やすのか。今が幸せでなくても、将来の幸せの為にやるのか。

そこは皆さんに問いてみたい。

昔の人の勉強に励む時は勉強したいから。したいから寺子屋に行き読み書きを覚え色々な書物を読む。

今の子ども達は、学校で勉を強いられる。知りたいことは自分から学ぶのではなく、知りたいかどうかは別として情報を与えられ、それについて関心・興味を持てと言われ、覚えていないと点数が低く、理解していないと評価される。

学校は何を子ども達に獲得してもらいたいのか問いたい。

もちろん、勉強がいらないとは言ってない。自分もそこそこ勉強してきた身で思うことを書いている。

歳を取ってからの学びが楽しくて仕方ない。

自分の楽しさは何なのかと思うと「疑問・知りたい」が始まりだ。

興味が無いことは全く頭に入らない。

何が言いたいのかと言うと。

今を大事に生きて欲しいということである。

未来は誰も保証してくれない。保証されていない幸せの為に今を幸せに生きないことがどうなのかと解いている。

今の幸せを保ちつつ、結果未来の幸せに繋がったら良いのでは無いだろうか。

中学校の学期末テスト、クラブでの大会、高校大学受験、就職活動、会社での出世など、結果を出したとしても喜びは一瞬で持続しない。その一瞬の為に今を犠牲に生きることが果たして本当に幸せなのだろうか。

人生で節目と良く言われるが、節目の結果は一瞬に過ぎない。

節目はあくまで過ごした過程の結果であってゴールではない。

今を幸せに生きること、自分の幸せは何なのかを問いながら生きることが節目の結果の捉え方にも余裕が出ると思っている。

「今を生きる」また鑑賞したくなった笑

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