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自信のあるない

大人も含めて、自信があるとか自信がないとかと発することがある。

この「自信」と言うのはなんなのか?

自分なりの解釈なのだが、自信も関係性によってあるないが持てるような気がしている。

答えを知っていることに関しては挙手して回答する。

知らないときは手を挙げずに黙る。

では、答えがないときは?手を挙げれるときはどんなときなのか考えてもらいたい。

ミスや羞恥を許容された時ではないだろうか?

これが人によって何を恥ずかしいと思うのかで挙げられる場面が違う気がする。

家庭環境により失敗をすると恥ずかしいと言う空気感、失敗と言うワードは無くとも恥ずかしいから辞めてとか、周りに迷惑かけるからとか。

この価値観がサッカーと言う遊びのスポーツにまでかなりの影響をもたらす。

サッカーはゴールを目指すスポーツで、遊びの1つである。遊びを本気でやるから楽しくやめられないのである。本気でやる楽しさはチョウチョを追いかける夢中なのと同じで大人の話しなど聞いてないで無我夢中で追いかける。

これをチームや親、コーチのエゴでチョウチョを追いかけるのに価値をこちらが足してしまう。

本人の心は度外視している。

サッカーもまずは自分でプレイすること。

そこに何かヒントを足すと、より良い視野が確保される。そんなヒントを

「いつ、どこで、どうやって」

足すのかが私達の役目である。

自信と言うのも、先にこちらが用意した価値観があるからそれに乗っけているのか不安なのである。

チョウチョを追いかけるのに何か注文したことはあるだろうか?車など注意してねくらいである。

その時は彼らは自信なさげにチョウチョを追いかけるだろうか?

周りの人々が作り上げた世界に対して自信があるないと言うだけである。

自分の世界を大事に持たせるようにするのが最初の作業なのではないだろうか。

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