よく試合中にファールを自チームの選手がして少し相手が痛がっているときに「謝っとけ!」と伝える指導者がいる。
または、相手チームの選手が「謝れよ!」と
その一言にその状況によってどうなのかの議論はもちろんあるのだが、何か私は違和感がある。
そのファールをしてしまった子の様子や態度、それこそ背景まで見なくてはならないのではないかと。
と言うのは、わざと悪質なファールをしようといていたのかどうか、ボールを止めようと思った結果起こってしまった事故なのかどうか、そしてその子のファールの後の表情はどうか。
その辺をすべて見て大人たちは見守ったらどうかと自分は思っている。
謝ることが駄目とは言っていない。
すぐに謝られたら受けた選手も気持ちが良いかもしれない。
しかし、「謝れよ!」「謝っとけ!」と言われて謝りにきた相手選手の言葉で受けた選手は気持ちが良いのかどうか。
なんだか謝ることがパフォーマンスでしかないように思えてしまうのは私だけだろうか。
子どもはまだまだ色々な経験値が低い
大人しい子なら尚更問題を起こすような子ではないのだから謝る機会が少ない。
試合中に指示すら出来ない子はすぐに謝ることなど中々難しいように思える。
謝らなくて良いと言っているわけではない。
謝る方が相手にとっても自分にとっても気持ちが良いことなはず。
それを子ども達にどうアプローチするかが大事なのではないかと思っている。
選手に自分の気持ちはどうなのか?と確認はしたのか。
わざとでないならお前は痛がっている子をどう思う?
その自分が思っている気持ちは相手に伝えたら相手はどう思う?
逆に自分が受けたらどう思う?どういうことをされると気持ちが良い?
そんなことは面倒ではあるが、子どもの成長には欠かせないと思っている。
烏天狗はそんなことを大事にしているチームである。
本日まさにそんなシーンがあり、相手の保護者が「謝らないの?」と言っていた。
うちの選手はどうして良いのか分からずモジモジしている様子だった。
世間は、烏天狗はファールをしても謝らない最悪のチームと見なされるだろう。
私は言いたい。謝らせる大人は全て世間の良いとされることを行っているのか?
悪口・愚痴は良くない。ゴミは拾おう。挨拶は気持ちよく誰にでもしよう。
本当か?
みんな人間なんだと言いたい。
完璧な人間はいない。
完璧とは?自分の中で何を大事に生きたいのかを問い続けることが人生ではないだろうか。
大人の価値観。
世間の価値観がすべて自分の大事にすることなのか?
そんなことを問われる機会がまずない。
オンリーワンの意味を大人ももっと大きく捉えたい。
そんなリアルな人間を育てようとしているチーム「烏天狗」がさいたま市西区にある。
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