「蹴っとけ!簡単に!はっきりやれ!」
その言われた子どもは判断を放棄しているように感じてしまった。
相手が来てる来ていない、どこに仲間がいるいない、スペースがあるないはさておきボールを思い切り蹴っているように見えた。
チームが勝つと子ども達は嬉しそう。
それでいいじゃんと言われたらそうだ。その価値観を否定はできない。
しかし、次のカテゴリーでボールを大事にすることを求められたら出来るのだろうか?
求められたらやり始めればいいじゃん。それで出来る子もいるかもしれない。
自分の時代でも指示型のコーチングでシンプルに前線に蹴って戦うサッカーで育った記憶がある。なので一概にすべてを否定しているわけではない。
自分が言いたいのは、選手子ども達が「蹴っとけ」の指示に従うのも自分が決めたことなのだよってこと。
自分は当時怖い監督に指示されながらもココは蹴らなくても大丈夫だろうと勝手にプレイしていた記憶がある。監督が蹴れと言う意味をこちらで考えて判断していた。要はチームが負けになるような危ない場面や状況を作らなければ監督は大して怒らないと分かってきたからなのだと思う。
それまでに何度も蹴らずに間違えたことも多々ある。生意気と言われ試合メンバーに外されることも多々ある。しかし、自分でココは言うこと聞いて蹴ろう、ココは聞かないで自分で処理しようと実験を多々こなした。その結果、自分の経験値となりチームにチャンスを持たせられる選手になったと思う。
自分の友達は監督の指示によく従い褒められ試合出場も多かったが学年が上がるにつれて活躍が減ってきた。それは、何が良くて何が悪いのかが分からないからなのかと思っている。監督の指示がないと何をして良いのか分からない。学年が上がりサッカーもレベルが上がると監督の指示も例えば蹴っとけの指示にも意味が持たされるようになってきた。いつ、どこに、どのようにして蹴っとけと言うような意味になっていた。
となると常に蹴っとけ!を疑問を持ちながらプレイしていた子ども達の方が自分で考え自分で結果に振り返っていたので意味をくみ取るのが上手であった。
まだまだ指示型のチームが多々あるように思っている。日本サッカー協会も色々と取り組んではいるが現況は大多数な気がしている。
なので、未来の子どもの為に、未来の日本のサッカーの為に子ども自身が強く逞しく覚悟を持った選手になれば明るいのかと思っている。
子どもの未来に触れている。重い言葉である。保護者も子どもを1人の個人として認め、早くに自律させ、自分で生きていく覚悟を持たせてほしい。
見守るとは?失敗の線の引き方で子どもの覚悟が決まるような気がしている。
ではメガネコーチは指示型ではなくどんな形で指導しているのですか?
・・・次週にしましょう。
一度見に来ていただきたい(笑)
さいたま市西区で活動しています。
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