団体競技の醍醐味は仲間がいること
会社でも、友達関係でも2人いれば組織になる。
この組織で目的に向かって動くのがチームである。
自分の出来は自分で良く分かる。
ましてや上の年代でやる時など実力的に無いのは実力があるやつほどわかっている。
そんな中での自分
自分が組織の一員である。
周りより劣ると思いながらも一員なのである。
この自分の客観的なメタ認知が成長になる。
自分が足りないことは何か。
自分が活躍する為に何を練習しとかないとならないのか。
それをチームを通して感じられることが大事と思っている。
チームでないと感じられないとさえ思う。
自分の失敗するイメージがよぎる。
でも交代もできない。
自分でやるしかない。
覚悟を持ち、現実から逃げないで、今の自分を全力で発揮し、そこでまた振り返り、練習に励む。
勝った負けたしか追わないと振り返りが浅い気がする。
勝っても負けても自分がどうだったのか?と常に問い、振り返ることが自分の成長になる。
主力?
主力なのはそのチームメンバーだから。
主力の意味は組織の関係性で常に変わる。
子ども達は残酷で実力をよく分かっている。
主力ではない選手が成長しない限りチーム力は上がらない。
それこそ主力も成長しない。
向き合うきっかけがチームにはある。
チームと言う組織が個人に責任感を持たせ、緊張感をもたせる。
この経験を子どもの頃から育む場を烏天狗は用意している。
結果しか見れない親御さんは何を育んでいるのかの見方が違う。
チームが勝てない。成長していない。子どもが楽しそうではない。勝てるチームに移籍。勝てるメンバーが欲しい。
それは 勝ち=楽しい しか価値を見出していないのかもしれない。
関係性で変わる個人の在り方を理解出来れば、どこでも成長できるし、どこでも楽しむ方法がある。
資本主義社会の構造に子ども達の大事な人間としてのピュアな心を巻き込んでいけない。
生産性、コスパ、タイパ、などなどクソ喰らえ。
出来ない自分や仲間を認め合い、何を育むのか。
そんなチームをつくりたい。
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