こんにちは。さいたま市西区指扇で活動しているジュニアサッカーチーム烏天狗JrFCの代表岩田です。
サッカーはゴールにボールを入れるゲームである。
このゲームの中で何がしたいのか?
そんな問いは低学年の時は無我夢中でドリブルして自分でボールを持っていってやる!とやっている。
これがまさに原点である。
ここから、相手も増え、簡単に1人ではドリブルで持っていけなくなる。となったときにゴールを目指すのにどうする?
仲間が欲しい。
仲間に何して欲しい?
パス出せる所に来て欲しい。サポートだね。
ボール持っていない人へ、どうやってゴールを目指す?ドリブルする仲間を応援?
助ける!
どうやって?
パスをもらう!
パスもらっても相手が同じようにくるよ?どうしようか!?
ここからは、いつ、どこに、だれが、どのようにパスをもらえば良いかを練習していくのだが。
大前提として、まずサッカーをやると言うことは?サッカーが好きと言うことは?ゴールを目指し、ゴールを守ることをするゲームが楽しいってことである。
この簡単に出来ないゲームを楽しむ方法が間違える時がある。ミスが多いのも、ドリブルやパスが成功したのも、全てサッカーを楽しむ手段である。
ここが上手くなったからといってゲームが勝てるとは違う。小さい時はドリブル磨けば活躍する。それだけでは年齢を重ねたら難しくなる。この難しくなる時に上記の対話があるかないかがとても過程として大事になる。
その対話の過程はドリブルを磨く理由がゲームに勝つ手段だと思ってやるから。
ゴールを目指せ無くなったときに他の考えが出てくるような育ち方をしているかどうか。
サッカーだけでなく、本人が何を楽しむのか。それに対して何がしたいのか、何に困っているのか。
この自分から動いた感情、欲求を大事にしたい。
感情、欲求などが出る前に色々なことが与えられる?強いられる?
園児の時の子どもの楽しそうな顔を見ているだけで幸せな時を思い出し、そこに対話してみて欲しい。
また違う顔色、感情、心が見えるかもしれない。
ついつい、こちらは手段に対して色々と言いたくなって強く言ってしまい、そもそものサッカーが楽しく無くなってしまう…^^;
手段を磨こうと思わない子はそんなに困っていないのと、磨いてまで勝ちたいと思っていない段階と受け止めるしかない。だから、楽しいのレベルとなる原点を時に確認し、観察したい。
私も楽しいを見返そうと思います。
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