こんにちは。さいたま市西区指扇で活動しているジュニアサッカーチーム烏天狗JrFC代表の岩田耕併です。
先日チームの保護者と忘年会を行い色々な話しをしました。保護者の考えや僕らの考えをざっくばらんに対話できる機会に感謝しました。暖かい方たちで何よりです(^^♪
そこで話しになった1つに子どもの判断、決断、実行を育む話しがありました。
サッカーは同じ場面、状況がないと言われます。状況変化が常に起こっている中で自分で判断決断実行をしないとなりません。
まずは判断するために選択肢を持たなくてはならない。決断するために何度も選択肢から選んでいかなくてはならない。その実行から自分で振り返り学んで経験にしなくてはならい。
この経験が公式戦での場面でも覚悟を持ってチャレンジできるのかと思っています。
昔からですが学校教育でも世の中のルールでも、箱の中に納め、管理しやすいように従わせてきた社会があります。それによって日本の社会は安全性が高くあると思います。最近は物騒な話しもありますが...(^^;
しかし、そのルールに対して本質を持たせられているのかどうかに疑問があります。ルールが出来た背景や経緯は理解しているのだろうか。怒って従わせて子ども達に「なんで?」を持たせられているのだろうか。「はい!」と言わせて満足している大人達になってはいないだろうか。
自分が描く理想な選手は「道路の向こう側で倒れいる人がいます。自動車の行き来はあります。信号もありますが中々青になりません。あなたは何をしますか?」
色々な回答があるかと思います。何が正解かは結果論も含めてありません。
しかし、ルールが邪魔して動けない人がいます。先生や大人、コーチに怒られるから余計なことはしない。
こういう時はルールを破っても良いのだよと教えてもらったとして、信号無視して渡るにしても自動車の行き来を自分の判断でして渡ってきた経験が無ければ行き来の多さによって難易度は上がります。自分が出来ることを自己分析しているのなら一人で渡れないけど助けを呼ぶとか、自動車を止める人として役割で活躍するなど色々なトライがあると思います。
もちろん、危険も伴うので自身の事故になる可能性もあります。それが公式戦でのミスや失敗に当たるかと思います。それが怖いからチャレンジできない心も大いに理解できます。
また違った状況の時はルールも違うし、行動も変えなくてはならないことが多々あります。それを一つ一つ教わることは無理です。なので自分でひたすら経験する以外に方法は無いかと思っています。
サッカーは特にスポーツ全般もそれこそ仕事もかと思いますが失敗しても死ぬわけではないと思います。あくまでもゲームですし、勝たないといけない訳ではないはずです。この勝負を楽しめる心を持たせられるかが我々大人の役目ではないでしょうか。
つまり、普段から何事も自己決定させて自分がつかみにいっていることを認識させて振り返りも大人が正解っぽく伝えるのではなく、自分でどうだったのかと考えられるようにすることで自身の経験になっていくと思っています。
そんなアプローチを保護者にお願いしたこの有様です...(^^;
とは言え、私も中三、中一、小二と三児の父として家では子育て奮闘中です...(笑)
偉そうな事書きましたが子どもにどうなってもらいたいのかを考えると自分のアプローチはどうなのか?と大人たちも振り返らないとならないかと思っている次第です。
日々精進ですね。
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