こんにちは。さいたま市西区指扇を拠点にジュニアサッカーチーム烏天狗JrFCとして活動している岩田耕併です。
最近、闇バイト犯罪ニュースをよく見かける。本当に多いのか?メディアの情報は操作されているかもとは常に頭にありながらも実際に起こっていることは間違いないことだ。
強盗殺人は一番刑が重いそうである。その一度の過ちでとんでもない人生になることをイメージ出来ないのかどうか。
もちろん、それくらい追い込まれて判断が出来ない状況なのかもと歩み寄るスタンスは持っていて、自分がその立場ではないので簡単には言えない事情があるかもと思いながらも自分の意見を書く。
自分は想像、イメージの力が乏しいのかなと仮説している。
自分で危険、危ないなどのことを小さいうちからトライしている子はどれくらいがマズイのか?と想像出来るようになるのではないかと思っている。
その危険、危ないの経験が多ければ多いほど、より危なければ危ないほど自分の中でここまではとイメージ出来るのではないだろうか。
危ないだけではない、痛い、甘い、苦い、寒い、暑い、楽しい、悲しいなど色々や感覚を自分の神経でどれくらい感じているだろうか。今の世の中では危ない状況が減り、旨味成分グルタミン酸で味もコントロールされ、体温調整も親の風引いたらと心配からくる先回りが子どもの感性を本当に磨けているのだろうか?と疑問に思う。
幼稚園児からタイツを履いている子が多いのに自分はビックリしている。本当に子どもが寒いから履きたいと言っているのか?と聞きたい。
確かに子どもはまだ自分で判断が出来ないから、分からないから教える。
それも分かるがどこまで教える?どんどん進化して、どんどん新しいウイルスも出てきている中で怖い怖いと知らないことに恐怖心だけ煽り、常に受け身で自分から感性磨きをしていないからなのかと思うくらい、小さいことでも知らないから怖いと思い動けなくなっている子はいないだろうか?
知る必要もない痛みや恐怖などはあるかもしれないがその知る知らないが自分の生きる力を形成しているように思える。
それを知識だけ詰め込まれて、本当はどうなのかと問いすら立てずに物心ついたら犯罪に手を染めることになるのはいかがなものかと。
うちのコに限って犯罪は…。これは大げさな失敗だが、ちょっとした行動、判断、決断はどうだろうか?
自分はサッカーのコーチだからサッカーにおいて思うことが多々ある。
痛みに弱い子、失敗を恐れる子、負けることが悪な子、評価を気にする子、自分から行動取れない子、など色々といる。
人生に置いては全く問題とは思わないがサッカーは生き物で相手がいて性格や価値観が違う仲間と目的に向かうのである。
この社会の中で自分の幸せを探すのは自分から取りにいっている人なのではないだろうか。
自分で判断、決断して良いと言うことが自分にとっての幸せの定義であるからかチャレンジしない子をみると「どう?楽しい?」と言いたくなってしまう。
習うことも大事なのだが、ひとまず色々とやってみて小さいエラーから沢山して、慣れていって欲しいな〜と思う日々です(^^)
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