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仲間を助ける眼をもつ

こんにちは。お酒を飲んだ次の朝と、飲まないで起きる朝とではコンディションが全然違うと分かっているのにやめられないさいたま市西区指扇でジュニアサッカーチーム烏天狗として活動している代表の岩田耕併です。

何か出来ない子を助けられるような眼を持っている子はサッカーでも気が利くと言われるプレイをする。

サッカーはボール状況で動く。
ボール状況によって自分のポジショニングが変わってくる。
このボール状況をどう認知するかが大事な要素になっている。

このボール状況と言われるのは言語化するのが難しい。
よく言われるのは前向き、何でも出来る時がボール状況が良い。
逆に悪い時は後ろ向きや頭が下がっている時と言われる。
しかし、悪いと思ってもヒールでパスしてきたりと相手の技量によって常に変化する。
仲間の技量も考慮しなくてはならない。

この状況においては攻撃は何したら良いのか、守備は何をしたら良いのかを判断する。
この状況を観ることが出来ない子はサッカーをやってないと言っても過言ではない。
相手、仲間とやることがサッカーであるから常に変化している。

ではこの状況を観ると言うことはどういうことか

自分はサッカー以外でも多くの場面で起こっていると思う。
電車に乗ると老人が乗ってきてすぐに席を譲るとか、皆で片付けしている時に自分で仕事を探せるとか、右折待ちをセンターレーンを少しはみ出して後続車と対向車がどちらも通れるように待つとか、とか。

全てしなくてはならないことではない。
自分が行動を取ることであるから。
社会をどう観るかで自分の行動が変わると思っている。

幼少期や小学生の時期のサッカーチームは個人差が大きい。この個人差をカテゴライズすることで得られる経験もあると思うが、小さいうちはこの色々な子が混在することを客観視してプレイしている選手は逞しくなるし、上記の様なサッカー以外でも活躍するような気がしている。

色々と出来ない子に対して要求は良いとは思うが行き過ぎた要求はその子自身を苦しめることにもなるし否定している事にもなってしまう時がある。このバランスを指導者も選手仲間も観て接し、その状況で自分がどう動くことがベストなのかを考えトライしていけると勝手に自己解決能力が上がっていくと思っている。

チームが勝つことは嬉しいことではあるが、Jクラブに所属することにより周りの恩恵で勝ちを得る経験と、勝てなくても何とかしようとしてあがいて考え続け行動をとる経験とどちらが良いのかはその先でしか分からい。
つまり、どのカテゴリーに属していてもどのように観ているかが鍵なのかと思っている。

大人の言うこと、先生の言うことをきく子は扱いやすいが、指示が無いと動けない、評価がないと動けない、それ以外は興味すらないと言うような人間としての支え合いが抜けてないかをこちら大人サイドは観察しなくてはならない。

とは言え、子ども達は常に勝ちたいから「なにやってんだよ~」って言うのも分かる(^^♪
言われる子もそれをどう思うのかを大事にして行動とることが大事である。
足の速さを要求されても構造的に無理、しかし技術的な要素は努力できる。
一緒に練習してあげられる。

それがお互いを助け合う、尊重し合う関係なのではないだろうか。

子どもに育んで欲しいものは何なのか?今一度考えよう。

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