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幸せの定義

こんにちは、世の中の休日は人が動いていてどこも混雑している。混雑している施設、サービスにはそれを提供している人たちがいると言うことに感謝しているさいたま市西区指扇でジュニアサッカーチーム烏天狗として活動している代表の岩田耕併です。

さて表題の幸せと言うことの話しをしたい。

自分の中での幸せとは「選ぶことが出来る」と言うことだと思っている。

生きるに当たってこうでなければならないと言うことは何一つない。そのままの自分で居て良い。このそのままの自分でいるのも選んでいることである。人付き合いが苦手でも、コミュニケーションを取れなくても、目立ちたがり屋でも恥ずかしがり屋でも、それを選んでの行動なのである。

サッカーでのプレイでは自分で選んでよい。しかし、サッカーと言うルールと原理原則に沿っての選ぶことである。何をやっても良いが何でも良いと言うことではない。このニュアンスが難しいかもしれないが、そこに不自由を感じるようならサッカーを辞めることを選べる。

試合に出たいと思っていても出ることへの権利はない。自分で出るための努力やチームを選ぶことはできる権利がある。バルセロナで出たいは選べないのではなく出るために目指すことを選べると言う意味合いになる。

つまり、何をやるにも自分が先でどうするのかを自分で決めていくことが大事と思っている。

人生の選択を親が決めたり、世の中の進学の流れに乗ったり、給与の高い会社に入った方が良い風潮が人を苦しくさせているのではないかと思う時がある。

お金は必要である。お金があると物やサービスを受けることはできるかもしれない。しかし、お金が無いと不幸せだと言うことにはならない。お金が無くても楽しく生きることはできる。そこに自分の価値観を見つけられれば良い。その自分の価値観を自分で見つけていくのが幼少期からの環境だと思っている。

何かやるにも上を目指さないとならないと言う風潮を自分でどう思うか。レギュラー以外は駄目、負けるのは駄目、勝つことが全てのようなマインドで育つことが全て駄目とは言わないが勝てなかった時や上手くいかない時にどこに自分の在り方を見いだせるのか。

烏天狗では選手コースと生涯スポーツクラスとを用意している。選手コースは競技に乗っ取り原理原則を守らないといけないとこから自分で何が出来るのかの判断をして実行しいく。自分より強い相手を倒すために苦しいことや大変な努力をしなくてはならない。

このしなくてはならないは強いられているように思えるかもしれないが、その競技に乗るか乗らないかを選ぶ権利を持たせている。この競技に乗るのであれば最低限やらないといけないことが出てくる。

我が子を例に出すが、我が子はスクールを選んでいた。時に尋ねたことがある。お前もっと練習したら?相手を倒すのに戦ったら?と。すると彼は「僕は上手くなるためにサッカーをしている訳ではない。このメンバーでサッカーをすることが楽しいからやっている」と。負けたら悔しいし、もちろん少しづつでも上手くなると楽しいのは知っている。けど努力をするまではやらないを選んだのである。もちろん、このスクール内でも努力しているし、闘ってもいる。カテゴライズされたカテゴリーがあると言う意味である。それは年齢を重ねるにつれてプロと言うカテゴリーから考えると少なくなってはきてしまう。

ここで難しいのは、では全て子どもの意に任せて選択させて良いのかどうかである。
嫌なものは嫌だと言うであろう子どもに対してどうチャレンジさせて時には努力や心を含めた痛さを乗り越える経験を持たせられるかが保護者やこちら側なのではないかと思っている。

子どもの権利ばかり主張して学校やサービス側に文句を言ってくる保護者に問いたいのは我が子にどうなってもらいたいのか?現実社会の中で生きていく為に荒波をどう対応していくのかは幼少期からトラブルに何度もあった子の方が強い気がしている。

失敗の数だけ人は成長すると良く言われるがまさにだと思う。
親が子どもの何かやることにも心配ばかりしていたら子どもはチャレンジできない。

子どもが自ら選ぶことを与え、選んだことによる結果も振り返ることがとても大事だと思っている。

何がしたい?そこに向けて「楽(らく)」を選ぶか、「楽しい」を選ぶかが鍵な気がしている。「楽しい」は努力からの成長や達成感などのストーリーがあると思っている。この楽しいを子どもに選択させていきたいと思って活動している。

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