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ルールの際を自分から探る

こんにちは。さいたま市西区指扇にて活動しているジュニアサッカーチーム烏天狗代表の岩田耕併です。

サッカーにおいてリスクをおかしたプレイが時には必要になる。サッカーだけでは無いのかもしれないがリスクは時としてチャンスになるからである。

そのリスクの取り方はマインドの問題なのかと思った話しがある。

生活の中にルールが沢山ある。家庭のルールから始まり、社会のルールもある。またモラルのような道徳的なルールも混在している。

そのルールの中で子どもからしたら何のためのルールか分からないこともある。

そんなルールを怒られながらも破り、破っては怒られると言うリスクを取りながらルールの際を見つけている子がいる。

逆にルールを守り、先生の言う事を聞く子はとても評価される。先生からしたら扱いやすい子なのだろう。

自分はそのような子にリスクをおかすことができるのかだろうか?と問いがたつ。

その子の親の目的は、迷惑かけない。良い子(言う事を聞く子)でいること。評価を得ること。なのではないだろうか。

これが駄目とか言っているのではない。

毎度この話しになってしまうが、評価やルールがなかったらどう行動とるのか?

それこそ自分の意思でどう考えるのかがとても大事になる。

SDGsとか掲げないと気にしないのか?

挨拶キャンペーンとかならないと挨拶しないのか?

どちらも取り組みに悪は無いが何でそのワードが出るのか。

常に自分の行動や世の中のルールや他人の心の背景を考えることが生きることの本質なのではないだろうか。

なぜ生きるのか?必ず死ぬと言う終わりがあるのに生きるのか?

自分に終わりがあるならSDGsとか気にしなくたっていいではないか!?

そこにモラルを用いるのはズルい。

モラルも曖昧なワードである。人によって変わる価値観にすぎない。

だからルールとか、モラルから話すのではなく、一緒にどう思うのか、どう考えていくのが良いのかを問うことが本質にせまるのではないだろうか。

背景を考えられると仲間が困るパスは出さないようになる。

自分はミスないけど、受け取った仲間が困っている。そんなことに気付けるはずである。

「なんで?」を常に持って行動しよう(^^)