先週の日曜の更新をサボってしまいました…
月曜祝日だと頭が…言いわけです^^;
この前指導者同士で話しになったことを少し
サッカーは全くボールを蹴れなくても、扱うのが苦手でも、ルールさえ知っていればコートの中に入ったらメンバーの一員として戦っている。試合をプレイしていることになる。サッカーはシンプルなので老若男女が混在しても成立する誰もが楽しめるスポーツである。
この前提は自分も好きで自分の70近いオヤジのフットサル仲間とフットサルをしたりもする。もちろん楽しい。この楽しいは自分が相手の丁度良いに合わせているのと、自分もその相手に合わせた中で何を選んだり、何を困らせたりなど、サッカーの楽しさを調整出来るから楽しんでいる。
この70のオヤジが大学生の中に入ってプレイすることはカテゴリーが違いすぎて、人にもよるとは思うが大半は楽しいと感じられないと思っている。
何が言いたいのかと言うと「なんでうちの子でれないのですか?」「僕も試合に出たい」と言う発言を良く聞く。
前者は親で、後者は選手であるが2人の意見は自分は同じように聞こえていて、試合に出ることが目的になっていて、本質からズレているように思ってしまう。
試合に出れば経験になると思っている親。試合に出たいから出たけど、で、何ができた?と言われると分からない選手。
確かに最初は誰でも初心者で若葉マークを付けて運転し、首都高の合流や車線変更をいつかはしないと技術は上がらない。それを遅かれ早かれやらないと経験にならないと言えばそうだが、周りはノッキングを起こし渋滞の可能性があったり、事故の可能性もある。なので、いきなり首都高ではなく、交通量の少ない高速道路や、広い道路からとか。
学習や勉強でも、テスト前に何を勉強して良いか分からないと言う子がいる。何が分かっていて何が分かっていないのかが分からないとテスト範囲の全てを何となくやるとか。
また、めちゃくちゃ早いネイティブな英会話を聞いても中々聞き取れない。まずはゆっくりからでしょ…とか。
もちろん興味を持ち出したタイミングだから、まだまだ分からないことだらけだけど、難しい勉強会に参加して何となく分からないことメモして勉強になった!と積極的な姿勢でやることもある。
どれも、自分としては、その人にその時に合うカテゴリーや、難易度を上げるタイミングがあるように思っている。
つまり、試合に出れないから認めていない訳でもなく、試合に出さないから経験にならないとも思っていないのである。
相手によったり、状況によってメンバーやポジション、試合時間や回数など色々である。もちろん代表ですら同じことであると思っている。
だから、出たいと自分自身が意志表示することは大事かもしれないが、現在の自分が目の前の試合に出た時に経験になるような日々を過ごしているのか、どう成長と向き合って取り組んでいるのかを自分自身で問いた時に自ずと決まるような気がしている。
もちろん、自信があるのに出れない時もある。自分も育成年代はそういう側の選手だった。
しかし、逆に何で出れているのかを考えていなかったのか、年代が変わると立場が逆転している。
年齢があがると自分自身で決断した経験は財産になり、確固たる根拠となる。
だから、とにかく「自分自身とどう向き合うのか」を子どもに持たせられるかが周りの関わりで決まると思う。
我が子に活躍して欲しいのは間違いない。
しかし、活躍しないからサッカーが楽しくないとなってしまうのはそもそもサッカーが好きではないのかもしれない。
サッカーで活躍するにはどうしたら良いかを考え、相手がそれを邪魔してくるのがサッカーと言うスポーツである。
活躍を簡単にしてしまったら、それこそ飽きてしまうのではないだろうか。
勝負とは上手くいかない仕組みになっている。
相手がいるから。
それを考えることが楽しいのである。
「心配しないで!」は偉そうかなぁ…笑
そんな指導をしているのが、さいたま市西区で活動するサッカークラブ烏天狗JrFCである。
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