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意味とかではない

「意味ねーじゃん」
そんな論理だけを考えた行動ばかりは息苦しくなる

自分の行動に意味なんかない時もある。

意味

理由、合理性、生産性、コスパ、タイパ・・・

自分にとっての意味は世論の意味には当てはまらない。

生産性が低いこと、価値を生まないことに無駄であるとなってしまう。

無駄なこと

意味がないこと

そんな事ならサッカーをやめた方が良い。

サッカーで価値を高め稼ぐことは東大に入るより難しい。
ましてや現役を続けていくことはもっとである。

それなのにサッカーを選びチームに入りお金をかける。

お金をかけると意味を持たせたくなる。

費用対効果

結果が出ないと無駄なのではないか

試合に出ないならもったいないから辞めなよ・・・

本人が携帯ゲームにハマるときはお金もかけて、時間を費やし、勉強の時間さえ奪う。

サッカーも同じことである。

時間を奪うものはいくらでもある。

すべてに意味を求めたら恋人や結婚、子育ても今の若者にとってコスパが悪く
意味のないものになる。

子孫は意味なんて言うことで考えられない。

我が子は意味ではない。

存在が意味である。

とするなら、意味のある事ばかりを言い過ぎると感情がなくなる。

人を動かいしているのは心である。
心が感情の発信源である。

その心を邪険にしてはいけない。

小さいうちは意味は聞いてもいいがやり過ぎるとつまらない人間になると思っている。

人は理屈ではないものを好み楽しむようにできている。

サッカーはそんなスポーツだ。

生産性を上げて取り組むが、結果はそれだけではついてこない。

だからチームのメンバーが必要で一人では心を動かしつらい

仲間とやるから心が強くなる

サッカーのある意味の意味を深く考えたい。

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