高校生の娘とオセロをやって負けて悔しくてリベンジをお願いしているすべてのカテゴリーで指導しているメガネコーチの岩田です。
先日、娘とオセロを始めたら開始早々に娘が何かめんどくさくなってきた~っと( ゚Д゚)
お前がやろうと言ってきただろ!
「考えるのが面倒くさ~い」
前にも書いた気がするが、何かを成し遂げるための過程をすっ飛ばしている時代がきている。
調べるのも、勉強もすべてAIに聞いた方が秒で最適解がでる時代だ。
さて、どうしたものか・・
このストーリーを楽しむ価値観はなくなっていない。
むしろ昭和や平成もかもしれないが過程を価値としいるかもしれない。
これも一部ですべてではないのは前提としてあるのは理解している。
エベレストもヘリコプターで頂上まで行ける。
富裕層はエベレスト頂上は容易い。
しかし、世界一高い山を登ると言う過程をどう捉えるかだ。
何が言いたいか
生きるのはそもそも大変ある。
生きるために食べなくてはならない。
どんな悲しいことがあってもお腹は減る。
食べないと死んでしまう。
食べるものを作らないとならない。
畑は難しい。
簡単に食物はならない。
そこにたどり着くために簡単に手に入るように工夫はされてきた。
それは人間の知恵からだ。
知識からではない。
知識は知恵からできる。
つまり、知恵は移り行く時代の中で必須条件である。
知識を大量に持っているAIより知恵を生み出す人間には勝らない。
AIが知恵をつける時代もきてるような・・・
ただ、エベレストの頂上の情報、上るための大変さは情報としてあるだろう。
ただ、実際に体験はしていない。
つまり、自分で感じるところはAIでは教えられない。
だから、すべての行動において過程、つまり経験が大事だと思っている。
面倒くさい作業かもしれない。
しかし、その面倒くさいの先にAIにはない情報が詰まっている。
結果の価値観から過程の価値観へ







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