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問題とは?

チームに迷惑をかけることは問題なのか?

問題の定義も難しいが何か子どもが起こすことは何でも成長の材料に過ぎないと思っている。

きれいごとかもしれないが私はそう思うし、そう捉えていける環境を作りたい。

私の息子娘の学校で問題と言う内容に興味があり首を突っ込みたくなる(^^

みんなと同じ行動を取れないことはそんなに問題なのか?

同じ箱にいる限りある程度の束縛はある。しかし、各々の人権は担保されなければならない。自分が選ぶ権利がある。また、頭で理解するのに時間がかかる子どもがいる。それを同じ速度で動けない子どもは遅いと怒られ、話を聞いてないと言われ、他の保護者からも問題児と言われる。

一定の基準線を引くとそこに乗っているのか、乗っていないのかで評価が決まる。各々の能力は考慮されない。能力を延ばすために学校があるはずなのに、基準線に乗っていないよと言われるだけ。乗っていないことが悪になる。

いや、人は生まれた瞬間から差があり、個人差がある。それを各々でどう伸ばしていけるのかが教育だし発達と言われることだし、まさに成長なのではないだろうか。

大人の価値観が経済的安定とか、キャリアとか、学力であると人生の幸せの尺度がすべて他社が設けた線での評価になっているように思う。

生まれて、自由に、楽しく生きることが幸せではないだろうか。

この自由と言うワードが鍵と思っているので私たちが携わる子ども、選手は自ら判断、決断し実行する時間を過ごしている。

問題と言われるようなことは全て成長の材料であり、成長の為の手段である。

問題やリスクを犯すことが怖いのではなく、問題を解決できるようにならないことを怖がらないといけないのではないかと思っている。

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